日本列島と朝鮮半島の違い

戦後の日本とは何か?それは匿名犯罪者を調査すれば全て理解できる。上記の人類は地球にコロニー(宇宙植民地)をぶつける作戦を決行する。生命は拡大する本能を持つ。拡大のためには群知能として古いネストや環境を破壊する必要がある。地球が破壊されれば、コロニー移住するしかなくなる。コロニー移住すれば思考形態は重力に縛られなくなる。匿名犯罪者の出身母体は重度の引きこもりを重ねた成人男子である。異常な密閉空間で血縁のみで形成された社会は精神を病ませ、人格障害者の社会復帰を不可能とさせる。これは中国という世界最大の人口を持つ漢民族と世界最強の騎馬民族とアジア最強の強襲軍を保有する大和民族に囲まれ、重度の引き籠りとなった朝鮮民族と近い思考形態を生み出す。冒険をせず、匿名犯罪を繰り返すのだ。異様なのは韓国病という症状ではなく、原因未だに見ない日本人である。

異様!ソウル市内走る“慰安婦バス” 専門家「韓国は世界が見えなくなっている」 – zakzak

ソウルの路線バスに少女像=「慰安婦追悼できる」と市長:時事ドットコム

朝鮮半島の人口が200万人を超えたのは、12世紀である。三国時代(高句麗、新羅、百済)の時代から半島は貧しい。日本列島の人口が200万人を超えたのは弥生時代と奈良時代の間、つまり、古墳時代である。多くの戦国の七雄から亡命者が日本列島にやってきた。斉から100家が済(わた)って生まれたのが百済である。しかし、王族は高句麗と同様に高氏(北方系ツングーズの貊族)だと言われる。新羅は秦羅と呼ばれ、万里の長城を作っていた逃亡労役者の国だと言われる。王家は倭人との間の混血(新羅の3王統の始祖の全てに関わる瓠公)と言われる。弓月君など秦王室の多くが半島を経由して日本列島に渡来し、古墳の巨大化に貢献した。この結果、推計値60万人だった弥生時代の人口が奈良時代には500万人から600万人に激増する。日本列島と朝鮮半島の違いは既に古代において大きく格差があった。これは人間も同じで、二十歳になれば人生の半分は終わっている。つまり、20歳での勝敗がかなり重要であるということだ。幼稚園時代にリーダーシップがあった幼児は多くの場合、知能指数が高く、小学校でもリーダーであり、中高では部長など役職を体験し、最終的に若くして高い地位につく。ただし、非常に順調で争いに巻き込まれなった場合は高転びする。

文禄・慶長の役を調査すれば、その理由が証明可能である。上記は大航海時代の一流海軍国が装備していたガレオン船である。右の絵に伊達家が建造したサン・ファン・バウティスタ号である。この船は45日(造船工:800人、鍛冶:700人、大工:3000人)で作られた。文禄・慶長の役では日本軍の陸戦力は一流だったが、海軍力は明軍と同じく三流だった。朝鮮軍の陸軍力は三流、明軍の陸軍力は二流だったが、朝鮮の海軍力だけは三流ではなく二流だった。これは日本の船は構造材である杉や檜を使って船を建造していたが朝鮮の船は松を使っていたからだ。もし、造作材に使われる広葉樹を使っていれば日本の海軍力は大幅に向上した。実際、二度目の渡海作戦である慶長の役では陸軍は全勝であり、海戦も漆川梁海戦で朝鮮海軍を壊滅させている。

上記の映像を見ればわかるか、日本海軍の中型船における大砲装備率は1から多くても3門、しかし、朝鮮海軍の船は12から26門であり、射程距離の短い海流の早い浅瀬で戦えば数で劣っても火力で圧倒することができる。豊臣政権の上層部は織田政権と違い中央兵站システムや海戦について何も理解していなかった。織田の水軍は毛利の焙烙攻撃で焼き討ちの恐ろしさを知っているため、朝鮮海軍による火箭(火矢)による焼き討ちを想定することができた。失敗は成功の母という言葉があり、文禄の役の失敗を慶長の役では生かしている。西欧の海軍力が優れていたのはイスラム諸国との泥沼の戦いが大きく関係している。レパントの海戦は両軍合わせて4000門近い砲撃戦(両軍参加兵数5万弱)であった。

過去の日本に対しては、韓国に文物で後れをとった小国という発想から容易に抜け出すことができない。

◆これは錯覚だ。壬辰倭乱当時、日本はすでに軍事上、世界最強国だった。当時、日本が保有していた火縄銃は50万丁だった。ヨーロッパ大陸が保有する全体銃器を凌駕する数だ。長年の戦国時代を経て、戦闘力を備えた正規軍が30万人にのぼった。壬辰倭乱当時、朝鮮に投入された兵力はその半分の15万人だった。一方、朝鮮の正規軍は5万〜6万人しかなかった。当時、朝鮮の人口は1000万にも満たなかったが、日本はその倍を上回る2000万に迫った。日本の人口が韓国に追いついたのは統一新羅時代だった。

出典:[オピニオン]日本に対する認識 : 東亜日報

いつの段階に劣ったかという質問だとすれば、日本の弥生時代、漢四郡(かんのしぐん)と帯方郡時代である。統一新羅の人口は日本に遠く及ばない。12世紀になっても朝鮮半島の人口は200万人であり、これは日本の3割前後である。秀吉の朝鮮出兵時には日本は戦乱で人口増加が抑制され、朝鮮半島は長い平和で人口が増大していた。つまり、朝鮮の人口は対日比3割の人口が4割から5割にまで成長していた最盛期でもあった。豊臣政権は自分の力量、特に海軍力に対する知識もなく、自分の知識がないのであるから朝鮮や中国の海軍力の知識もなく、中央兵站システムという概念も生まれず、朝鮮半島での戦争により疲弊し、徳川政権に打倒される。徳川政権は自分の力量を知るが故に鎖国する。世界有数の陸軍国である日本は、世界最大の海軍国と協商関係を構築し、出島での管理貿易(鎖国)により長い安定政権を生み出す。今、行動できないなら永遠に行動できないだろう。裁判を傍聴すれば世界の全てがわかり、世界の一部に参加できる。それなくして、突撃すれば下記のニュース記事に必ずなる。

ヘイトスピーチ:「失うものばかり」後悔の元「突撃隊長」 – 毎日新聞

<高知地方裁判所>
2017/8/28(月) 16:00 開廷
被告:山内敏史(代理人も法廷には来ない)
(密告により東京地裁での別裁判で共犯者が発覚する)
代理人:徳永信一
関連情報サイト

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です